定安県黄竹鎮
 大河村 后田村 牛耕坡村 周公村

       

 1941年8月25日(農暦7月3日)早朝、日本軍は黄竹鎮の大河村、后田村、牛耕坡村、周公村の四村を包囲した。明るくなってから、日本軍は、村人を集め、家に押し込め、火をつけ、逃げだした村人を刺殺した。 母親に背負われた幼児も殺した。さらに逃げようとする村人にたいして、日本軍は銃を乱射した。
 この日、日本軍によって、109人(大河村で79人、后田村で23人、牛耕坡村で3人、周公村で4人)が殺された。  村が焼かれた煙が陽の光をさえぎり、人びとが焼き殺された臭いが遠くの村にまで広がった。
 襲撃した日本軍は、日本海軍佐世保第8特別陸戦隊所属部隊であった。

「黄竹四村の墓」
「一百零九」という犠牲者
の数が刻まれている
   

大河村(現、後賢村)
符和卿さん(1924年生)
大河村の虐殺現場
符和昌さん(1922年生)
 日本軍が襲撃した日、符和卿さんと符和昌さんは、遠くまで牛追いにいっていて、生き残ることができたという。
      
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